シューマン コンクール1989の記録⓪
おうちに篭って片付けをしていたら大昔のものが出てきました。
31年前のシューマン コンクールの記録・・・時代を感じます。
日経新聞の文化欄に取り上げていただいたことがあるのですが、その元となる草稿です。
長いものなのでこれから毎日少しづつアップしていきます。
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1989年7月のある日、私は留学先のオーストリアから一時帰国した。
一年ぶりの日本は梅雨の季節で、湿っぽい空気が肌にまとわりついた。
私の手荷物の中はあの有名なマイセンの陶器で一杯だった。ティーカップ2客。
ティーポット、シュガー入れ、ミルク入れ、花瓶。
絵柄の違う3枚の皿。
これらは単なるお土産ではない。
私が6月に受けた東ドイツのロベルト・シューマン国際音楽コンクール・ピアノ部門で2位をいただき、その賞金で買った思い出深い品なのだ。
ロベルト・シューマン国際音楽コンクールは4年に1度、東ドイツの南部、ツヴィッカウというシューマンの生地で行われ、今年は第10回目を迎えた。
ピアノ部門と声楽部門があり、過去には日本でもおなじみのアンネローゼ・シュミット(第1回1位)、デジュー・ラーンキ(第6回1位)、ディーナ・ヨッフェ(第7回2位)、ペーター・エゴロフ(第7回1位)、以上ピアノ部門、声楽部門では白井光子さん(第7回1位)などが入賞している。
ざっと見てみると東側の入賞者が大変多い。
東側の大きなコンクールとしては、ポーランドのショパンコンクール、ソ連のチャイコフスキーコンクールが有名だが、私はこのシューマンコンクールに関して言えば実際参加してみるまで詳しいことはほとんど知らなかった。
しかし今コンクールを終え、このコンクールの意義を考えてみると、先の2つのコンクールに負けず劣らず素晴らしいものがあった。
ここでは私の体験をもとに、このシューマンコンクールを紹介したい。
私は1988年秋からオーストリア・ザルツブルクのモーツァルテウム音楽院に留学し、ペーター・ラング氏のもとピアノを学んでいる。
今までにもいくつかコンクールを受けてきたが、コンクールというものは勿論人と人との競争ではあるのだが、それよりまず自分の精神力、体力への挑戦の場でもある。
自分のベストを尽くしたいという真摯な姿勢からコンクールでは時に名演が生まれる。
また、時にプレッシャーで自分の力を出しきれず惨めな結果に終わることもある。
私は経験を積むという意味でコンクールには否定的ではない。
そこで私は留学してすぐ先生に何かコンクールを受けてみたいと相談を持ちかけた。
すると、先生から「シューマンコンクールはどうですか」と勧めていただき、準備を始めることになった。
念を入れてじっくり勉強するのに時間は充分あった。
しかし長いと思っていた準備期間も意外と早く過ぎ去り、コンクールはもう目前に迫っていた。
1989年の5月も終わりに近づいていた。
つづく
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