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2020年5月31日 (日)

シューマン コンクール1989の記録①

[5月31日]ザルツブルクからツヴィッカウへ

コンクール委員会からの連絡によると、今日の夜までに東ドイツのツヴィッカウに到着しなくてはならない。
重いトランクを持って朝7時、オーストリアのザルツブルクの駅を後にした。
ツヴィッカウまでは西ドイツのミュンヘンで乗り換えて9時間かかる。
列車は1日1本しかない。
列車には食堂車もないばかりか何も売りにも来ない。
みんな自分の座席でそれぞれが持ってきたパンやチーズをかじっている。
私のバッグの中にもヨーグルトやバナナ、りんご、そして「のり巻き」が入っていた。
こののり巻きは同じラング先生門下の台湾からの留学生、チンミン(静敏)が夕べ持ってきてくれたものだ。
「幸余は練習に忙しくてきっと時間がないだろうから」と、私のために作ってくれたのだ。
そんな静敏の優しさが心に沁みた。
私を応援してくれている友人のためにも、コンクールでは最善を尽くしたいと思った。
やがて国境駅に着き50分程止まる。パスポートを見せると「シューマンコンクールですね」と、国境警備隊の人に言われ問題なく済んだ。
やっと16時半、ツヴィッカウの駅に着いた。ホームの階段を降りていくと「シューマンコンクール参加者ですか」と学生に声をかけられた。
出迎えの人であった。
私は彼女に連れられてホテルまでたどり着いた。
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ホテルツヴィッカウは駅から歩いて2、3分のところにあり、コンクール開催期間中は全参加者がここに寝泊まりするのだ。
コンクール事務局もここに置かれている。

早速事務局に行くとホテルの部屋番号と食事の券を渡され、演奏順のくじ引きがあった。
私は25番。
ピアノ部門の申し込みは58名だから、ちょうど真ん中あたりだろう。
部屋は2人の相部屋で洗面台がついている。大抵、同国人同士で相部屋となるらしく、私は日本人参加者のAさんと同室になった。
トイレとバスは共同で各階にあるが、バスはシャワーがなく、水道の蛇口がついているだけで少し不自由である。
早速、夕食を食べにホテルの食堂へ降りていく。
食事券を渡し、2種類のメニューから一方を頼んだ。
東ドイツは食生活が貧しいと散々聞かされていたので覚悟を決めていたのだが、出てきたトーストの上に肉がのった料理は大変美味しく、パクパクと平らげてしまった。
もしかしたら食事は楽しみのひとつになるかも、と希望を抱き始めた。
食事の後、今日は朝に家を出て以来ピアノを弾いていないので練習を希望すると、先程の学生がまた私を音楽院まで案内してくれた。
ホテルから歩いて十数分のところに古いレンガ造りの2階建てが3棟建っている。
これがロベルト・シューマンコンセルヴァトワールである。受け付けで2時間の練習を申し込んだ。
グランドピアノのある部屋は少ないらしいが運良くあいていた。
あちらこちらの部屋から練習の音が聞こえてくる。
最終審査でのシューマンの協奏曲を練習している人もいる。
私は聞いたこともないメーカーの古いピアノの前に座り、ゆっくりと練習を始めた。
覚悟はしていたが、やはりピアノは良くない。
長時間このピアノで練習していては、指の感覚がおかしくなってしまう。
指の運動機能の低下を防ぐ程度の練習にしかならない。
隣からは私が弾くのと同じ曲が聞こえてくる。
今日は列車に揺られ、頭がボーッとしている。この辺でやめよう…と練習を切り上げた。
ホテルに帰ってプログラムを見る。
参加者全員の顔写真、略歴、演奏曲目がアルファベット順に載っている。
日本人は私を含めて3人。
ソ連からは6人も来ている。
みんな若い。(このコンクールは年齢制限が25才まで)
見ているうちに、大変なところに来てしまったなぁという気がしてきた。
今日はとにかく疲れをとって体調を整えることだ。
早くにベッドに入ったが、車の音と、隣の部屋のタイプライターを打つ音が気になりなかなか寝つけなかった。
つづく

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