シューマンコンクール1989⑭
[6月14日]本選2日目
今日は本選の2日目だ。
ソ連のミハイヨクとメルニコフが登場する。
ソ連のミハイヨクとメルニコフが登場する。
ソ連勢は前もって国内予選を勝ち抜いてきた選抜メンバーなので強い。
しかし日本人が西洋音楽をやる際に一度は感じる血、伝統の違いのようなものがソ連の参加者にも当てはまるような気がしてきた。
しかし日本人が西洋音楽をやる際に一度は感じる血、伝統の違いのようなものがソ連の参加者にも当てはまるような気がしてきた。
ソ連のピアニストたちは自己主張が強く、アクのある演奏をするが、それがロシア的であり、時々これでもシューマンの音楽なのだろうかという印象がぬぐえない。
彼らを聴き進んでいくにつれて何か異質なものを感じるのは私だけだろうか。
そうはいっても、今日2番目に弾いた16才のメルニコフは才能の点では素晴らしいものを持ち合わせていたのは確かだ。
ソ連勢はお国の期待を背負って来ているし、もし成功すれば西側への進出も可能となるが、失敗した場合はそれからしばらく国内予選にも出ることができない。
たった一度の失敗によって才能の芽を摘まれてしまうこともあるわけだ。
それだけにみんな必死なのだ。
ソ連勢はお国の期待を背負って来ているし、もし成功すれば西側への進出も可能となるが、失敗した場合はそれからしばらく国内予選にも出ることができない。
たった一度の失敗によって才能の芽を摘まれてしまうこともあるわけだ。
それだけにみんな必死なのだ。
ソ連の参加者を見て私はとても厳しいものを感じたが、同時に寂しい気もした。
メルニコフは事務局が行ったインタビューの中で「どうしてこのコンクールに参加したのか」という問いに「勝ち抜くためです」と答えたという。
若い彼はこれから先、どんなふうに歩んでいくのだろうか。
メルニコフは事務局が行ったインタビューの中で「どうしてこのコンクールに参加したのか」という問いに「勝ち抜くためです」と答えたという。
若い彼はこれから先、どんなふうに歩んでいくのだろうか。
それはそうと私はこの日、友人とライプツィッヒまでの日帰り小旅行を楽しんだのだった。
ツヴィッカウからライプツィッヒまでは列車で1時間半。
ツヴィッカウに来て以来、ホテルとコンセルヴァトワールと会場の往復しかしていなかったので、これは有意義な旅行となった。
ツヴィッカウに来て以来、ホテルとコンセルヴァトワールと会場の往復しかしていなかったので、これは有意義な旅行となった。
ライプツィッヒは東ドイツ第二の都市で、町の感じも近代的で明るかった。
私たちは駆け足で
バッハが晩年オルガニストと指揮者を兼任していたという聖トーマス教会(ここには祭壇前に彼の遺骨が眠っている)
若いゲーテが好んで通った酒場アウエルバッハス・ケラー
彼が法律を学んだというカール・マルクス大学
そしてゲヴァントハウスやオペラ座を見て回った。
私たちは駆け足で
バッハが晩年オルガニストと指揮者を兼任していたという聖トーマス教会(ここには祭壇前に彼の遺骨が眠っている)
若いゲーテが好んで通った酒場アウエルバッハス・ケラー
彼が法律を学んだというカール・マルクス大学
そしてゲヴァントハウスやオペラ座を見て回った。

昼食にはなんと日本料理店で久しぶりにお米を食べ、大感激したのだった。
つづく
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